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 vol.2

  あらゆる事前調査をクリア−し、短い日程の中、今回の旅唯一の観光
アパッチトレイル」へのドライブは決行された。
 その日は、NM州から西へとハイウェイ40号を走り、Holbrookでハイウェイを下り、州道77号で南下して、アパッチトレイル経由で終着Phoenixという、時間にして6〜7時間の気楽なドライブの予定だった。
 ハイウェイ40号を西へと移動している最中、Arizona州に入ってすぐに、進路方向の雲行きがあやしくなってきた。案の定、頭の上の空は真っ黒な雲となり大きな粒の雨が降ってきた。やがて、雨は雪へと変わり、 視界が悪いやら、スピ−ドを出せないやらで、かなりの時間ロス。Show Lowの街で地元の労働者らしき人たちにまじり、小さなカフェで昼食をとり、雪のやむのを待ったが、そんな気配は全くみせてくれない。ただでさえ時間ロスをしているのだから、早々にShow Lowを去り、いざ、アパッチトレイルへと向かった。
 雪は吹雪へとかわり、ますます天候は悪化してきた。Show Lowをたつと国道60号、この道路は、フォ−トアパッチRes.やサンカルロスRes.を通ることになっているが、残念ながらそれらしいアパッチの人々や家並みを拝見することができなかった。ただ、厳しい表情をした自然だけが脳裏に焼き付いている。
 しばらくして気がつくと、いつの間にか雪が雨へと変わった。Globeの街につくと、さっきまでの吹雪はウソのような晴天っぷり。Globeを、素通りして州道88号へのりかえた。まもなく、小さなサボテンが、ちょこんちょこんと見えてきた。「乾燥地帯のアパッチトレイルが間近に接近しているのだぁ−」と、ワクワクしてきた。次に目に入ってきたのは道路標識、的になっているのか?ピストルのタマの後が何ヶも何ヶも、ゾォ〜〜〜。今度は「これぞ、サボテン」というか、映画やTVでよく見るサボテンが見えてきた。何百何千と自生していて、あまりの多さにうんざりしてきたその時、目の前に大きな水面が広がった。水の宝庫’ル−ズベルトダム’である。
 突然の、緑豊かな景色、きれいな水、ダムにかかるすてきな橋。私達は、それらを背景に写真を撮りに車を降り、ついでに、ちょっと一息。ル−ズベルトダムは、アパッチトレイルへの入り口となっている。いよいよ突入と、このとき私は「30分たらずのトレイル越えで今日のメインイベントも終了かぁ〜」と、余裕をこいていた。この先の事も知らずに・・・・・。
 先ほどの余裕が焦りに変わったのは、トレイルに入って1分もしないでのこと。アパッチトレイルは、舗装されてないジャリ道なのだ。しかも、すぐにクネクネとしたカ−ブの多い登り坂となり、さっき見ていたダムが助手席の私の席からは、みるみると小さくなっていき谷のずっと下界に見えた。片側はカベ、もう一方は谷、それなのにガ−ドレ−ルもなく対向車がくると、本当、一苦労。ようやくすれ違える程の道幅で、どちらかが車を止め相手がすれ違うのを待たなければならない。だから、対向車が来たときは、もうドキドキ!。そうこうして、やっと登りつめ「ここが、最高峰!!」と思い、頂上から見える山々を見納めとばかりにながめ、胸に焼き付けた。・・・・つもりが。
 頂上に着いて下を見ると、なぜか谷の下の方まで細く道がある。その先に目をやると、なんと別の山が。その山にも細くクネクネした道が続いている。「まさか、この道はあの山にもつづいているのでは・・・・」嫌な予感よぎる。・・・予感的中。その後もアップダウン・アップダウンの繰り返しと、ドキドキの連続だった。さらに、いくつの山々を越えたことだろう?出口は、いつ現れるのだろうか?不安はつのるばかり。30分の予定が、すでに2時間は走り続けている。道は相変わらず舗装されていない、行方も山々にジャマされて見えるのはいま走っている道路だけ。
 徐々に、景色すら目に入ってこなくなり、今となっては、このとき覚えた
不安な気持ちだけしか思い出せない。結局、アパッチトレイルを越えるのに要した時間は3時間ぐらい。その後、舗装路を走る快適さを実感しながら、Phoenixに無事到着。やっと、生きた心地がした。
 「アパッチトレイル=秘密の抜け道」 かつて、自分たちの生き方を貫こうと、軍隊に最後まで抵抗し戦い抜いた誇り高き、アパッチ族。北からアメリカ軍、南からメキシコ軍。これらから逃れるためにできた道なのであろう、秘密の抜け道。
 その戦いから約100年の月日が経過し、私達は違った意味で、命を懸け同じトレイルを通り抜けてきた。当時の激しかった戦いや、それぞれの思い、それらを感じさせるいっさいの跡形もいまはもうなかった。ただ、当時と変わらないであろう、まっ青な空と対照的な赤い山々。そして、私達同様、バカンスを楽しむ陽気な観光客。そんな、平和そのものをうかがわせる風景ばかりだった。
 当時のアパッチ族の人々は、どんな想いでこの荒涼とした大地をかけ抜け、また、この大自然は彼らの目にどう映ったことだろう。
 興味本位で、トレイル越えを思いたったが、「ここを、命がけで越えていったアパッチ族の勇姿達がいたことを、そして、彼らが命を懸け守ろうとしたインディアンとしてのプライドを、忘れてはならない。」と、切なく感じたドライブだった。